スケートボード界の絶対王者
Nyjah Huston(ナイジャ・ヒューストン)
数々の名誉あるタイトルを手にしてきたアスリート。
東京五輪に続き、パリ五輪でもアメリカ代表として出場が決定しました!!
パリ大会では日本のスケートボード界のスーパースター堀米雄斗選手との対決にも注目されています
ナイジャ選手の父親は日本とのハーフであり、祖母は日本人。
ナイジャは親日家として、日本への深い愛情を持っています
この記事では、彼の家族背景や日本への愛、パリオリンピックへの期待について詳しく紹介します
ナイジャ・ヒューストン
ナイジャ・イマニ・ヒューストンはアメリカのプロスケートボーダー。
2010年.2012年.2014年.2017年.2019年のストリートリーグ・スケートボーディングでチャンピオンを獲得しました
彼は2013年5月時点で、過去のどのスケートボーダーよりも多くの賞金を獲得し、世界で最高級のスケートボーダーとして知られています!
さらに、2014年にはFoxWeeklyの
『史上最も影響力のあるスケートボーダートップ15』で5位にランクインしました。
ナイジャ・ヒューストン プロフィール
プロフィール | |
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名前 | Nyjah Imani Huston ナイジャ・イマニ・ヒューストン |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1994年11月30日 |
年齢 | 29歳 |
身長 | 178cm |
体重 | 68 kg |
1994年、カリフォルニア州デイビスで生まれたナイジャ・イマニ・ヒューストンは、人付き合いの少ない家庭環境で育ちました。
ナイジャは5人兄弟の真ん中で、2人の兄と1人の弟と妹がいます。
父親は元スケーターであり、ナイジャと4人の兄弟にはスケートボードだけを奨励しました。
ナイジャ・ヒューストンの父親は厳格な人
ナイジャの父、アデイェミ・ヒューストンは元プロスケートボーダーとして知られており、ナイジャのスケートボードキャリアの初期段階から強い影響を与えてきました。
アデイェミ・ヒューストンは厳格で少し支配的でな人でした。
子供たち全員を自宅で教育し、周りとは隔離されたような生活を送り、ラスタファリアンの生き方で子供たちを育ていました。
ラスタファリアン
ラスタファリアンは、1930年代のジャマイカで生まれた宗教運動。
自然との調和、黒人の解放、精神的な覚醒を重視し、ベジタリアン食も信仰の一部とされています。
また、髪を切らずに自然に成長させるドレッドロックスという髪型も一般的です。
厳しい教育方針
アデイェミ・ヒューストンは、自宅の裏庭に家族経営の屋内スケートパークを細心の注意を払って作り、ナイジャたちがスケートボードに専念できる環境を整えました。
彼の教育方針は非常に厳格であり、家族はアメリカの主流文化から隔離されて育ちました。
アデイェミの厳しい指導の下で、ナイジャは早くからスケートボードの才能を開花させました。
ナイジャは7歳の時にElement Skateboardsとスポンサー契約を結び、わずか10歳でタンパ・アムで優勝し、史上最年少でXゲームに出場!
父親の強い影響力と厳しい教育方針が、ナイジャを世界トップクラスのスケートボーダーに育て上げたと言えます。
父とプエルトリコでの生活
2006年、父親のアディス・ヒューストンの決断により、家族は突如プエルトリコに移住。
この新しい環境では、電気や水道が不安定で、母親のケレは ナイジャのキャリアと子供たちの幸せを心配し、父親をカリフォルニアに戻るよう必死に説得しましたが、うまくいきませんでした。
ナイジャと妹のイシャは父親と共に過ごすことになり、他の兄弟たちは母親のケレとともにカリフォルニアに戻りました。
家族の移住と離散という困難な状況に直面しました。
これによりナイジャはスケートボード界から姿を消し、前途有望なキャリアはほぼ台無しになってしまいました。
ナイジャ・ヒューストンの母親は?
ナイジャ・ヒューストンの母親、Kelle Huston(ケレ・ヒューストン)は、ナイジャの人生とキャリアにおいて重要な役割を果たしています。
ケレは家庭内の調和を保ち、ナイジャのスケートボードの才能を育むために多大な努力を惜しまず、彼の成功を支えてきました
教育は母親のケレによって家庭内で学校教育を受けて育っています
ナイジャがスケートボードの大会に出場する際には、ケレは常に彼の側にいて、精神的な支えとなりました
スケートボード界から姿を消してしまったナイジャ。
両親は離婚。
母親のケレは、ナイジャがスケートボードでの成功を再び手にするために、2010年にようやく子供たち全員の親権を取り戻し、再び名声を取り戻すのを手伝うと誓ったのです
この時期、ナイジャはストリートリーグ(Street League Skateboarding, SLS)に参加するための航空券を手に入れ、大会で初代チャンピオンとなり、生活を安定させるための優勝賞金を獲得しました
さらに、彼は慈善団体『Let It Flow』を設立し、世界中で清潔な水と衛生設備の提供に取り組みました。
エチオピアの井戸の修復など、スケート以外の分野でも活躍しました。
このようにして、ナイジャ・ヒューストンは苦難を乗り越え、スケートだけでなく、社会貢献にも尽力するスターとしての道を歩んできました。
ナイジャヒューストンは母思い
複雑な幼少期を経て、見事スケートボード界の絶対王者となったナイジャ・ヒューストン。
お母様のこともとても大切に思っている様子ですね
幼い頃に自分を立派に育て、よく世話してくれたことへの感謝の気持ちとして、母親のケレ・ヒューストンに新しいBMWをプレゼントして驚かせました
ママに新車をプレゼントして驚かせた。
とても貧しい家庭に育ったから、こういう瞬間は本当に幸せだ。
愛しているよ。
一部引用-shredder.news
【画像】ナイジャ・ヒューストンの父親は日本とアフリカ系のハーフで親日家?
ナイジャ・ヒューストンの祖母は日本人
ナイジャ・ヒューストンの父親
アデイェミ・ヒューストン(Adeyemi Huston)は、お母様が日本人のため、日本のハーフです。
ナイジャのとっては祖母
日本の血を引くクォーターであり、彼のルーツには日本人の血が混ざっています
日本とどこのハーフか、はっきりとはわかりませんが、ナイジャは父が黒人と日本のハーフと言っており、ある記事にはアフリカ系アメリカ人と記載されていました。
父は黒人であり日本人 母は白人
米国で悲しい事件が起こった時
私の父は黒人で日本人、母は白人です。
私は黒人文化とラスタファリアンのライフスタイルの中で育ちました。
私は一度も普通の学校に通ったことがないので、マーティン・ルーサー・キングやボブ・マーリーの教えを深く学び、私たちはみんな平等だと常に教えられてきました。
自分が扱われたいように他人を扱い、肌の色で人を判断してはいけない。
人種差別には常にうんざりしてきましたし、どうしてこんなクソみたいなことがまだ続いているのか本当に理解できません。
もうクソみたいな2020年ですよ!!!
本当にこんなクソみたいなことを終わらせる時が来ました。
私は25%だけ黒人かもしれませんが、私は黒人であり、誇りに思っています!
父親と肩を組んだ写真をインスタグラムに投稿していました
ナイジャ・ヒューストンは自身のルーツを大切にし、誇りに思っています。
ナイジャ・ヒューストンは日本人の血を継ぐ親日家!!
父親が親日家かどうかわわかりませんが、ナイジャ自身は親日家で祖母の事を
トラディショナルな日本人女性で、そんな祖母が好き。
今はアメリカに住んでいる。
お餅を食べさせてもらったり、僕も日本の文化に親しんだりしてきた。
和食が好きとも語っています
腕に漢字で『熱情』とタトゥーを入れている。
大の親日家として知られていましたが、そこには日本人の祖母の影響もあったのですね
ナイジャ・ヒューストン パリオリンピック2024
ナイジャ・ヒューストンは、2024年のパリオリンピックに向けて、スケートボード男子ストリート競技の金メダル候補として注目されています
日本でも大人気のライバル的存在、東京オリンピックで金メダルを獲得した堀米雄斗さんとの対決も注目ですね!
2人の活躍に期待したいですね
まとめ
ナイジャ・ヒューストンの成功の背後には、彼の家族の影響があります。
父親は日本とのハーフであり、その文化的背景がナイジャにも影響を与えました
また、母親ケレのサポートもナイジャの成長に欠かせない要素でした
ナイジャ自身も日本文化に親しみを持ち、親日家として知られています。
彼の多様な文化的背景と家族のサポートが、彼の成功を支える大きな要因となっているのですね
パリオリンピックでの活躍を期待しています
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